4月29日、父の納骨と四十九日の法要を行いました。父の故郷の群馬、母の故郷の愛知から親戚が集まってくださり、無事お墓に安置することができました。安住の地を得て、父も喜んでいるのではないかと思います。
今でも、息を引き取る瞬間のことや闘病中の苦しみなど思い出され、胸が締め付けられる思いがします。父本人が、どれだけ死を受容していたのかわかりませんし、もしかしたら昏睡状態に陥るまで治ると信じていたのかもしれませんが、死を看取るというのはとても苦しいことです。生あるものはやがて死ぬわけで、これから母、兄弟、旦那の両親など多くの家族の死を看取ってその死を受容していかなくてはいけないのです。苦しいことだけどそれが残された者の務めなのかも知れませんね。せめて順番に、決して親より先に死んではいけないと、父の死で痛切に感じました。
常々100歳まで生きると行っていた父なので、もっともっと生きたかったはずだし、生きていて欲しかった。死後の世界で、自分のしたいことややり残したことを十分やって欲しいなと思います。
現実には「佐藤仁彦」という人間は存在しなくなってしまったわけですが、父の生き方や思い、そして思い出はいつまでも存在し続けています。
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