2005年05月26日

散歩の楽しみ

 爽やかな晴天が続いていて気持ちがよい毎日です。
やがてやってくるムシムシジメジメの梅雨が恐ろしい・・・。

 最近、散歩がてら歩いて保育園に行っています。
私は運動不足解消と彩生の日光浴をかねて、颯太は途中で木いちごやくわの実を見つけて食べていくのが楽しみなのです。
赤く熟したプリプリの実はたまらなくおいしいのです。
自然の恵みに感謝して、毎朝散歩を楽しんでいます。

Posted by masako at 11:18 | コメント (0)

2005年05月19日

スター誕生!?

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 我が家に新しい家族がやってきました。
友人の家に生まれたハムスターの赤ちゃんを譲ってもらったのです。

 名前は「スター」 男の子です。
4月の末に生まれたので生後3週間のかわいい赤ちゃんです。
萌生も颯太もスターに夢中。
朝早くから寝る間際まで、「スタースター」と声をかけゲージから出しかわいがっています。
まさに「スター誕生!」
 
 一方、いままで我が家のアイドルだった彩生はほっておかれて寂しそう。
「私の相手もしてよ~」と甘えた泣き声をだしています。


Posted by masako at 14:33 | コメント (0)

2005年05月16日

かわいいでしょ!

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8ヶ月の彩生です。
下の前歯がちょこんとのぞいていてかわいいでしょ!

日に日に表情が豊かになってきています。
テレビのリモコン、洗濯物のかごがお気に入り。
洗濯ばさみやハンガーなども大好きで、私が洗濯物を干しているときにいつも遊んでいます。

Posted by masako at 14:47 | コメント (0)

2005年05月10日

初ラブレター?

 先日、颯太が突然手紙を書きたい!と言い出しました。
理由を聞いてみると、お姉ちゃんはいつも友達から手紙をもらったり、あげたりしているけど、僕はしたことないから・・・とのこと。お手紙というものにあこがれがあるようです。

 姉から便せんをもらい、鉛筆を握りしめ、あいうえお表とにらめっこしながら、舌をチロッとだして(集中しているときの癖です。)一生懸命に書いていました。
「見ないでよ~」と照れながら腕で隠しているのもまたかわいいものです。

 誰に書くかと思ったら、なんと保育園で同じクラスの女の子に書いていました!
ほんの2,3行の短いお手紙でしたが颯太の書いた初のラブレター!?

 腕白坊主のほのぼのとするかわいい一面でした。

Posted by masako at 11:34 | コメント (0)

2005年05月08日

Family登山

 G.W.後半、家族で三原山に登りました。
彩生を旦那がおんぶして、初めての5人家族での登山です。
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 萌生と颯太は旦那と一緒に住宅から、彩生と私は山の中腹にある駐車場からでした。
お天気は良かったのですが霞がかかってしまい、海や伊豆七島の他の島々、伊豆半島といった眺望は残念ながら見られませんでした。でも、清々しい空気の中、山頂まで登り、噴火口を見て、温泉ホテルまで約5キロ、よく歩きました。
萌生と颯太は住宅からだったので+3キロぐらいかな?二人とも足が強くなったものです。
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 独身時代、旦那と穂高を縦走したときに、5人家族の一家に出会いました。仲の良い素敵な家族でした。当時一番末の娘さんが颯太と同じ年長だったと思います。
その年齢で穂高に登れるのか!と驚いたのと同時にいつか私たちもこの一家のようにFamilyで穂高に登りたい!という思いを抱いたのを覚えています。
 
 我が家に子どもが産まれ、成長するに連れて「family登山」が実現でき、徐々に高い山に挑戦できるのはとても嬉しいことです。昨年は横岳だったので、この夏は富士山か?八ヶ岳縦走か?など色々考えていますが、彩生を連れての登山は無理が利かないので、近場になりそうです。

Posted by masako at 10:37 | コメント (0)

2005年05月02日

どうぞ安らかに

 4月29日、父の納骨と四十九日の法要を行いました。父の故郷の群馬、母の故郷の愛知から親戚が集まってくださり、無事お墓に安置することができました。安住の地を得て、父も喜んでいるのではないかと思います。

 今でも、息を引き取る瞬間のことや闘病中の苦しみなど思い出され、胸が締め付けられる思いがします。父本人が、どれだけ死を受容していたのかわかりませんし、もしかしたら昏睡状態に陥るまで治ると信じていたのかもしれませんが、死を看取るというのはとても苦しいことです。生あるものはやがて死ぬわけで、これから母、兄弟、旦那の両親など多くの家族の死を看取ってその死を受容していかなくてはいけないのです。苦しいことだけどそれが残された者の務めなのかも知れませんね。せめて順番に、決して親より先に死んではいけないと、父の死で痛切に感じました。

  常々100歳まで生きると行っていた父なので、もっともっと生きたかったはずだし、生きていて欲しかった。死後の世界で、自分のしたいことややり残したことを十分やって欲しいなと思います。
 
 現実には「佐藤仁彦」という人間は存在しなくなってしまったわけですが、父の生き方や思い、そして思い出はいつまでも存在し続けています。

Posted by masako at 11:21 | コメント (0)